過激な発言が度々注目を集める爆笑問題の太田光さん。
妻である太田光代さんとの出会いと結婚に至るまでの道のりも、普通の人とはかけ離れたエピソードを持っています。
今回は、そんな太田光さんのプロフィールと併せて、太田光代さんとの馴れ初めなどについてご紹介します。
太田光さんのプロフィール
太田光さんは1965年5月13日、埼玉県で生まれました。
お笑いコンビ「爆笑問題」の相方である田中裕二さんとの出会いは、日本大学芸術学部演劇学科でのことでした。
在学中に出会った二人は、中退後の1988年3月にコンビを結成、お笑いタレントの渡辺正行さん主催の「ラ・ママ新人コント大会」でデビューを果たします。
その後、太田プロにスカウトされましたが、1990年に独立。この独立は爆笑問題が一方的に決めたことだったため、当時は一時的に仕事が全く無くなってしまいます。
しかし、事務所と繋がりのない番組への出演や俳優業などを見つけ、着々と活動を続けていきます。
苦難の仲、1993年に芸能事務所「タイタン」を設立し、1994年にテレビ番組「GAHAHAキング 爆笑王決定戦」に出演、初代チャンピオンの座に就き、ブレイクを果たします。
この時に事務所の社長に就任したのが、太田光さんの妻である太田光代さんです。
元芸人だった太田光代さんは、自ら営業活動を行うなど爆笑問題を陰から支え、事務所の経営を軌道に乗せました。
太田光さんとの結婚は、事務所設立前の1990年のことです。
妻・太田光代さんとの出会い
太田光代さんとの出会いは、1989年の合同コントの打ち合わせがきっかけでした。
同じ事務所の芸人仲間を集め、太田光代さんの自宅で行われた合同コントの打ち合わせに参加した太田光さんですが、他の女芸人に一方的な好意を寄せられて困っていたところ、見かねた太田光代さんが自分の隣に座らせ助けてあげたそうです。
太田光さんの破天荒ぶりはこの時も発揮され、太田光代さんの手助けを「この人は自分に気がある」と勘違いします。
勘違いしたままの勢いで、太田光さんはその日のうちに同棲を始めてしまいます。出会ってその日のうちに同棲を始めるという、普通では考えられない行動ですが、二人の仲は順調に発展してきます。
同棲から始まった交際は2年間続き、1990年9月26日に二人は結婚します。
三人で乗り越えてきた苦難の日々
二人が結婚した年は太田プロから独立をした時で、一方的に辞める形となった爆笑問題には一時期仕事が無くなってしまいます。
太田プロ所属の時はテレビ出演なども活発で、爆笑問題の名前を世間に広めていましたが、独立を機にテレビから二人の姿は消えてしまいます。
太田光さんはこの独立を「全面的に自分たちが悪かった」と降り勝っていますが、一方で「面白ければ仕事がなくなることはないだろうと思っていた」とも語っています。
その言葉通り、太田プロとは繋がりのない場で芸能活動を続けています。時には俳優業や、出演するドラマや映画の脚本や監督を行うなど、お笑い芸人という枠に捕らわれず「面白いこと」を行ってきました。
しかし仕事が少なくなっていたのも事実で、相棒の田中裕二さんと共にアルバイトで生活費を稼ぐなど、苦しい日々を送ります。
太田光代さんも、お笑い番組のディレクターなどに積極的な接待を行ったり、時には土下座で二人を売り込むといった熱心な営業活動を続けていきました。
そして1993年、三人の努力が実を結び、株式会社「タイタン」が設立されます。
太田光代さんは代表取締役に就任し、現在も爆笑問題を陰から支えている重要な存在となっています。
二人の間に子供は居る?
苦難の時期を共に乗り越えた二人ですが、実は二人の間には子供が居ません。
結婚10周年を迎えた二人は、二人の両親に孫を見せてあげたいという願いから子供を作ろうと発起。
太田光代さんは不妊治療を行います。
しかし、この不妊治療は太田光代さんの体に合わず、体調を壊してしまうという結果になってしまいました。
苦しい時代を共に乗り越えてきた二人の間に子供ができなかったのは残念な事です。
しかし二人の仲は未だに健在で、爆笑問題の活動、太田光さんの働きを妻である太田光代さんが支えていく、という形は今後も変わらないでしょう。